慶應大、脳内アミノ酸による運動記憶と学習の仕組みを解明  [2011/04/08]
慶應義塾大学の柚﨑通介授と掛川渉助教らの研究チームは、マウスの幼若期に習得される運動記憶と学習の新しい形成メカニズムを解明したことを発表した。英国科学雑誌「Nature Neuroscience」のオンライン速報版で公開された。

記憶や学習をはじめとする脳の高次機能は、神経細胞同士がシナプスを介して構築する神経回路によって担われている。中でも、人のスポーツや楽器演奏などの繰り返しの練習によって上達する運動技能は、主に小脳に構築された神経回路内のシナプスに運動の記憶として蓄えられることが知られている。これまでの研究から、学習に伴ってシナプスにおいて情報伝達を担うグルタミン酸受容体の数が増減することが、記憶・学習の実体である「シナプス可塑性」であると考えられている。しかし運動記憶の形成過程には未解明な点が多く、特に、どうして年齢とともに運動学習能力が低下するのかについては分かっていなかった。

スクリーンショット 2014-01-24 17.43.27.png図1 神経細胞はシナプスによって結合し、神経回路を形成。シナプス前部の神経細胞から放出されるグルタミン酸などの神経伝達物質は、シナプス後部に存在する受容体に結合することによって情報を伝達する。シナプスこそが人間の脳における「記憶」の場と考えられている

また、これまでの研究により、幼若期のマウスの小脳にはL-アミノ酸の光学異性体「D-アミノ酸」の1つである「D-セリン」が豊富に存在し、成長に伴って激減することが報告されている。しかし、幼若期の小脳に存在するD-セリンがどのような機能的役割を担っているかについても、長い間謎のままであった。

スクリーンショット 2014-01-24 17.43.58.png図2 各脳領域におけるD-セリン量の経時変化。マウスを使って各脳領域でD-セリン量を計測したところ、海馬・大脳皮質では、ほぼ恒常的にD-セリンが存在しているのに対し、小脳では、幼若期(生後2~3週目まで)にのみ豊富に存在し、成熟期以降ではほとんど検出されなかった

研究チームでは、幼若期の小脳に豊富に存在するD-セリンが、運動記憶・学習の形成に寄与しているのではないかと考え、D-セリンに結合することが知られていたデルタ2受容体に着目した。デルタ2受容体は、小脳神経回路の要衝を担う顆粒細胞平行線維-プルキンエ細胞間シナプス(平行線維シナプス)にほぼ選択的に発現している。今回、成熟前のマウス(幼若マウス:生後2~3週目まで)の小脳から脳切片を作製し、神経活動を引き起こしたところ、平行線維シナプスを囲むグリア細胞からD-セリンが放出されることを発見した。

スクリーンショット 2014-01-24 17.44.14.png図3 神経活動上昇により小脳切片内のグリア細胞からD-セリンが放出される。マウスの小脳から小脳切片を作製し、神経の平行線維を電気刺激して神経活動を活発にさせると、幼若マウスでは、細胞外へのD-セリン放出が認められた。一方、成熟マウスでは、電気刺激を与えてもD-セリンは放出されなかった。また、グリア細胞の代謝を抑制する薬剤(NaFAC)存在下では、幼若マウス小脳切片でもD-セリンは放出されなかった

また放出されたD-セリンは、デルタ2受容体に結合し、小脳シナプス表面に発現するグルタミン酸受容体数を低下させることによって、平行線維シナプスにおいてシナプス可塑性を誘導することも見いだした。

スクリーンショット 2014-01-24 17.44.33.png図4 D-セリン-デルタ2受容体結合がシナプス上のグルタミン酸受容体数を調節。グリア細胞から放出されたD-セリンは、デルタ2受容体に結合し、細胞内のシグナルを駆動させることにより、シナプス表面上のグルタミン酸受容体の数を減少させる。その結果として、シナプスでの情報伝達(シナプス伝達:EPSC)が、長期的に低下する

さらに、D-セリンのデルタ2受容体への結合が、動物個体レベルにおいて運動記憶・学習に寄与しているかどうかを明らかにするために、D-セリンが結合できない変異型のデルタ2受容体を発現させた遺伝子改変マウスを作製・解析したところ、このマウスにおいては、幼若期での運動記憶・学習が著しく低下していることが分かった。

スクリーンショット 2014-01-24 17.44.53.png図5 D-セリン-デルタ2受容体結合が運動記憶・学習を促進。回転する棒の上に乗せて落ちるまでの時間を測定するローターロッドテストを用いて、運動記憶・学習能力を解析したところ、D-セリンが結合できないデルタ2受容体を発現するマウスは、正常マウスに比べて学習成績が悪く、次の日まで成績が維持されない(記憶されない)ことが分かった

この結果は、幼若期の小脳に豊富に存在するD-セリンは、デルタ2受容体に結合することでシナプス表面のグルタミン酸受容体数を調節し、その結果として運動記憶・学習を促進させることを明らかにした。

さらに、D-セリンは成熟後のマウスの小脳ではほとんどなくなってしまうが、デルタ2受容体は生涯を通して発現し、実際にD-セリンへの反応性は成熟後にも存在することも分かった。

今回発見されたD-セリンとデルタ2受容体シグナリングの情報伝達は、人にもあてはめられると考えられ、人の幼児期での運動記憶・学習過程の理解に有用な知見を提供しうると考えられると研究グループでは説明しているほか、D-セリンの経路を制御することによって、将来、大人でも効率的に運動学習を促進させうる可能性が考えられるとしている。

同研究グループは2010年にも、顆粒細胞から放出される分泌性たんぱく質Cbln1が、デルタ2受容体に結合し、平行線維シナプスの形成を制御することを報告していたが、今回のD-セリンとCbln1の2つの新しいデルタ2受容体リガンドが共同的に作用することで、運動記憶・学習をより厳密に制御しうる可能性も十分に考えられるともしている。