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心の病や症状など

発作を恐れ、不登校になった高校生の考察。



「感謝のお便り」15 で紹介しました、不登校の事例です。
それでは彼が何故パニック発作のような予期不安に苦しみながら、不登校になってしまったのかを簡単に考察してみましょう…。
ここでは、プライバシーの問題が生じないように、表面的な一部のさわりとなる原因をご紹介します。
実際は、もっと細かで複雑な要因が絡んでいたのですが…。

12月の年末が近づいた頃に高校2年の息子さんのことで相談のメールを父親から受け取りました。
教室で授業を受けている時に、心臓に不調を感じ、突如過呼吸の発作が起きそうになるので、そうした発作が起きたら恥ずかしいという予期不安で学校に行けなくなったとのことでした。


ことの発端は、
高校2年の8月30日の夜中の12時過ぎてからのことです。勉強に取りかかろうとする直前に栄養ドリンクを飲んだことから始まります。
すると動悸がしだして、気が遠くなりそうになるのを感じ、心臓がおかしいと訴えだしたとのことでした。
それを聞いた親は、「背中をさすり、1時間ぐらいで寝かせた」とのことでした。
その後、
母親が仕事でいなかった夜7時半に、8月30日の症状が再発して、母親の職場に電話をして助けを求めたこともあったようです。
その日は直ぐに母親が家に帰り救急車を呼んだとのことでした。


初めて息子さんとの面談の時、ご両親も心配して一緒にお越しになっていました。
本人は心臓が悪いと思っていて、心臓のあたりの胸を触り続けていました。
また、「時々チクっとする」とも訴えていました。


しかし母親によると、2カ所の病院で心臓の様々な精密検査を行なっても異常は見つからなかったとのことでした…。

初回ご両親がご一緒だったので、家庭環境に関する情報収集がとてもスムーズに出来ました。

父親は非常に厳格な方で、また職場においても有能で非常に勤勉な方でした。そうしたご自分の価値観を一人息子さんへの期待とともに押し付けられていたようでした。

母親は、息子さんが小学校6年の時に今の職場に変わり、夜7時まで働いてから、実家に預かってもらっている子供を迎えに行っていたとのことでした。
母親の仕事が変わる6年生までは、5時過ぎには帰宅されている生活だったので、その後、母親の7時過ぎの帰りが待ち遠しく、我慢して耐えていたのでしょう。

8月30日の最初の発作から、12月までの間、段々と症状が悪化して、予期不安も強くなりついに登校が出来ない状態で冬休みを迎えてしまい、年明けてからのことが心配で相談のメールが届いたという流れです。


初めの頃は、どうにか好きなサッカーの部活は続けていたが、スパルタ式の厳しい監督から怒られると症状が出たこともあったようです。
また、11月の初めにインフルエンザにかかってから、特に身体症状が強く起こってきたようです。
それゆえに期末テストも、満足に受けられなかったとのことでした。


それでは何故パニック発作のような予期不安に苦しみながら、不登校になってしまったのかを簡単に考察してみましょう…。
全ての心の症状には、原因があるのです。
そうした因果関係を明確にすることで、問題は解決していきます。

何故不登校になったかという結論から先に言えば、
本人の無意識は、将来の進学において自信をなくしていたのです。
意識された「自覚」が無いまま、両親の期待に応えられないジレンマで精神的に苦しがっていたのです。
これまで期待されて頑張ってきたが、進路を考えるようになって、到底父親の出身校には合格できそうもないと感じ始めた頃から、精神的な焦りが始まっていたのです。
父親は一人息子に対する愛情と期待で、小学校1年に入学すると同時に自ら英語を教え始めました。
その教え方が厳しく、息子さんにとっては大変な苦痛だったようです。
ある日息子さんは、父親には内緒だけどと前置きして「英語の成績は良いけど、全教科で英語が一番嫌いだ」と私に語っていました。


高校に入学当時から勉強を頑張り、2年になった時に、成績ごとに分けられたトップのクラスにどうにか入ったことで安堵したものの、その優秀なクラスメイトの中で過ごすことで特に劣等感が強まったようです。
教室での予期不安が起きた時を分析すると、苦手な教科で理解に苦しむ内容の授業の時間に起こっていました。


どうにかして親の期待に応えたいという思いが強かっただけに、父親の母校にはどうにか入学したかったようです。
しかし、到底それは不可能であることを思い知ってきただけに、しかも努力が足らないと父親に責められてきただけに、無意識では相当な苦痛で、気に病んでいました。
またさらに、
子供の時から、親の喧嘩に心を痛め不安がる傾向が身に付いていました。離婚という言葉を小学校3年の時に聞かされさらに強まったようです。
親から見放されないために、親の言うことを守り、良い子という評価を得ようと頑張る気持ちが強くなり、精神的にもがくように成長していったのです。


さらに言えば、そうした勉強における劣等感だけではなく、クラスでの人間関係もうまくいかなくなっていました。
彼は非常に繊細な性格でもあり、(親にそうであったように)相手に気を使い過ぎて強く自己主張が出来ない面がありました。そうしたことも悩みとして抱えていたようです。
こうした性格的傾向が作り出す悩みも合わせて治していく必要が見えてきました。
もう一つの要因は、焦りです。
彼にとって、焦りはかなりのストレス要因になっていました。

8月30日の夜の試験勉強は、夏休みに遊び過ぎた後の実力考査だったので、お父さんに突っ込まれないように緊張と焦りが強くあったといいます。
それゆえに、栄養ドリンクを飲みながら睡眠を削った生活を送っていたのです。
また、幼なじみの女の子と高校2年になって同じクラスになり、しかもその子に成績が抜かれてしまっていた状況も、彼を苦しめて焦らせていました。
こうした焦るという癖は、小学校に入ってから、問題を解く時に急がされて付いていったのです。特に父親から英語を学ぶ時は、怒られまいと必死だったのです。早く正解を答えて褒められることでカッコつけようとする癖も身に付いていました。
そうした焦る癖によって、部活でも、あわてて焦ってミスをする。・・・下手くそと言われてストレスになり、発作に繋がるようになっていったのです。

一度7月の初めに栄養ドリンクを飲んで、夜中勉強した時にその効果を実感していたのでその後も飲むようになっていました。
しかし8月の夜の勉強で飲んだ時に発作を体験して、勉強しないまま受けた8月の実力考査は成績が悪かったようです。
その後、中間試験は普通に受けて、発作後で、コツコツ努力したので何とか良かったようです。
その後期末試験の時は、試験勉強を始める前にインフルエンザにかかってしまい準備が遅れてしまったことで、焦って勉強していたら発作が起きてしまっていました。


心臓に関しては、睡眠不足と精神的焦りによる自律神経失調症で、交感神経の過剰興奮が作り出している心因的症状だったといえます。
しかし、彼にとっては非常に不安な症状であったでしょう。しかし、無意識的には、体調が悪く勉強ができないので、成績が落ちても仕方ないと親に理解させ、受け止めてもらうための最後の盾(言い逃れの手段)だったのです。

彼の母親からの「感謝のお便り」15を読む ≫≫≫