慢性疲労症候群と脳内炎症の関連を解明
-脳内の神経炎症は慢性疲労の症状と相関する-
要旨
理化学研究所(理研、野依良治理事長)、大阪市立大学(西澤良記理事長兼学長)、および関西福祉科学大学(八田武志学長)は、慢性疲労症候群/筋痛性脳脊髄炎(CFS/ME)[1]の患者は健常者と比べて脳神経の炎症反応が広く見られることを陽電子放射断層画像法(PET)[2]で確認し、炎症の生じた脳部位と症状の強さが相関することを突き止めました。これは、理研ライフサイエンス技術基盤研究センター(渡辺恭良センター長)健康・病態科学研究チームの渡辺恭良チームリーダー、水野敬研究員らと、大阪市立大学大学院医学研究科代謝内分泌病態内科学疲労クリニカルセンターの中富康仁博士(現 ナカトミファティーグケアクリニック院長)、稲葉雅章教授、同研究科システム神経科学の田中雅彰講師、石井聡病院講師、関西福祉科学大学健康福祉学部の倉恒弘彦教授らによる共同研究グループの成果です。
CFS/MEは、原因不明の疲労・倦怠感が6カ月以上続く病気です。感染症や過度の生活ストレスなど複合的な要因が引き金になり、「疲れが取れない」という状態に脳が陥るためと推測されています。しかし、その詳しい発症メカニズムは分かっておらず、確実な治療法もまだありません。仮説の1つとして脳内炎症の関与が示唆されていましたが、これまで証明されたことはありませんでした。
共同研究グループは、神経炎症に関わる免疫担当細胞であるマイクログリアやアストロサイト[3]の脳内での活性化を、CFS/ME患者および健常者を対象としたPETで観察しました。その結果、CFS/ME患者の脳内では広い範囲で炎症が生じていることを確認しました。さらに、それぞれの患者の症状の強さと脳内炎症の生じた部位の関係を調べたところ、扁桃体と視床、中脳は認知機能に、帯状皮質と扁桃体は頭痛や筋肉痛などの痛みに、海馬は抑うつ症状と相関することが分かりました。これらの結果はCFS/ME患者の脳機能の低下に脳内炎症が関わっていることを示す証拠となります。今後、脳内炎症のPET診断によりCFS/MEや慢性疲労の理解が進み、客観的に測定可能な指標に基づく診断法の確立や、根本的な治療法の開発につながると期待できます。
本研究は、武田科学振興財団、厚生労働科学研究費補助金および科学研究費補助金の支援を受けて行われ、成果は米国の科学雑誌『The Journal of Nuclear Medicine』(6月号)に掲載されるに先立ち、オンライン版(3月24日付け)に掲載されました。
背景
これまで健康に生活していた人が、ある日突然、極度の疲労により半年以上も正常な社会生活が送れなくなる慢性疲労症候群/筋痛性脳脊髄炎(CFS/ME)は、通常の診断や従来の医学検査では身体的な異常を見つけることができず、治療法も確立していません。原因として、感染症を含めたウイルスや細菌感染、過度のストレスなど複合的な要因が引き金となり、神経系、内分泌系、免疫系の変調が生じて、脳や神経系が機能障害を起こすためと考えられていますが、その発症メカニズムは明らかになっていません。そのため、患者は家庭や職場、場合によっては受診した医療機関においてさえも、怠けているだけという偏見をもたれることも少なくありません。
近年、CFS/ME患者の脳内では、血流の低下、セロトニン輸送体[4]の密度の低下などのさまざまな異常が見つかり、脳機能の低下が異常な倦怠感を引き越こしている可能性が明らかになってきました。また、患者の血液や髄液を健常者と比較検査したところ、炎症性サイトカイン[5]がわずかに上昇していることが報告されており、脳内での炎症が脳機能の低下に関わっているのではないかと推測されています。しかし、実際に患者の脳内で炎症が発生しているかを調べた研究はありませんでした。脳内の炎症には、神経系を構成する免疫担当細胞のマイクログリアやアストロサイトの活性化が関わっていることが分かっています。そこで共同研究グループは、これらの細胞の活性化の指標となるタンパク質の増加についてPETでの可視化を試みました。
研究手法と成果
脳内のマイクログリアやアストロサイトは、生体防御反応である炎症の発生に伴い、TSPO[6]というタンパク質の産生を増加させます。今回用いたPETプローブ11C-(R)-PK11195[7]はTSPOと結合し、炎症が起きている場所を可視化できます。共同研究グループは、CFS/ME患者9名と健常者10名の脳をPET検査で比較しました。また、各患者の疲労度や抑うつ症状、認知機能については、質問表による自己診断やテストによる評価で症状の強さを評価しました。PET検査の結果では、患者の脳内では主に、視床、中脳、橋、海馬、扁桃体や帯状回という部位での炎症が増加しており、健常者と比べて有為な差があることが分かりました(図1、図2)。さらに、各脳部位における炎症の程度とCFS/MEの各症状には相関があり、視床、中脳、扁桃体での炎症が強い場合は認知機能の障害が強く、帯状回や視床の炎症が強い場合は頭痛や筋肉痛などの痛みが、また海馬での炎症が強い場合は抑うつの症状が強いことが明らかとなりました(図3)。これは、脳内の炎症が起こっている場所で脳機能が低下し、CFS/MEにおけるさまざまな症状を引き起こしている可能性を示唆します。
今後の期待
主観的な疲労感があるにもかかわらず、既存の検査では異常が見つからないため見逃されることが多かったCFS/ME患者では、実際に脳内での炎症が増加しており、脳機能の低下の原因となっていることが示唆されました。これは、客観的な画像検査をもとにしたCFS/ME診断の確立への大きな一歩となります。今後さらに、CFS/MEの病態の解明に取り組み、診断技術の確立や有効な治療法、予防法の開発を進めていきます。
補足説明
慢性疲労症候群/筋痛性脳脊髄炎(CFS/ME)
極度の疲労が半年以上続き、正常な社会生活を営むことが困難な状態に陥る病気。従来の検査では異常を見つけることができず、治療法も確立していない。
陽電子放射断層画像法(PET)
PETはPositron Emission Tomographyの略。陽電子を放出する放射性同位体を薬などの分子に組み込んで個体に投与し、体内で崩壊して放出されるγ線を測定して分子の体内分布を見る方法。
マイクログリア、アストロサイト
神経系を構成するニューロン以外の細胞(グリア細胞)の一種。脳の障害時や病原体の感染時に活性化し、壊死細胞や異物の除去など、脳内の免疫反応に関わる。
セロトニン輸送体
セロトニンは神経伝達物質の1つ。セロトニンを分泌する神経細胞(セロトニン神経)は、シナプスに放出したセロトニンを細胞内に再び取り込み、再利用する。このセロトニン再取り込みに関わる膜タンパク質をセロトニン輸送体と呼ぶ。
炎症性サイトカイン
炎症反応を制御するサイトカイン(細胞間相互作用を担うタンパク質性因子)の中でも、炎症症状を制御する働きをもつもの。
TSPO
18-kDa translocator proteinの略。活性化したマイクログリアやアストロサイトで多量に生産される。
11C-(R)-PK11195
TSPOと結合するPETプローブ。正式な名称は、11C-(R)-(2-chlorophenyl)-N-methyl-N- (1-methylpropyl)-3-isoquinoline-carboxamide。
PET検査した脳の断層図
図1 慢性疲労症候群/筋痛性脳脊髄炎の患者における脳内炎症
慢性疲労症候群/筋痛性脳脊髄炎(CFS/ME)の患者における脳内炎症をPETプローブ11C-(R)-PK11195を用いてPET検査した脳の断層図。脳の解剖的な位置を示すため、MR画像を重ねて表示している(いずれの写真も同一の患者で異なる断層面を撮像した写真。上側が頭側、下が足側)。CFS/ME患者の脳内では帯状回、扁桃体、海馬、視床、中脳、橋などの領域で炎症が増加している。
図2 慢性疲労症候群/筋痛性脳脊髄炎患者における脳内炎症の程度
慢性疲労症候群/筋痛性脳脊髄炎(CFS/ME)の患者9名と健常者10名におけるPETプローブ11C-(R)-PK11195の結合度(BPND)の違い。結合度が高い程、脳内炎症が強く発生していることを示す。患者(右側ピンク)の値は、健常者(左側青色)の値より高いことが分かる。
図3 慢性疲労症候群/筋痛性脳脊髄炎の患者における症状と脳内炎症の関係
慢性疲労症候群/筋痛性脳脊髄炎(CFS/ME)の患者9名における症状と 脳内炎症の程度(PETプローブBPND of 11C-(R)-PK11195との結合度)との関係。上の図は症状と最も関係のあった部位を示すPET画像をMR画像に重ねたもの。下は症状と実際の脳内炎症の程度との関係を表したグラフ。
A:扁桃体の炎症と認知機能障害は正に相関し、炎症が強いほど症状が重い。
B:海馬の炎症と抑うつ症状は正に相関し、炎症が強いほど症状が重い。
C:視床の炎症と頭痛や筋肉痛の痛みは正に相関し、炎症が強いほど症状が重い。