社会的に隔離された養育環境は幼児の脳回路形成に悪影響 - 横浜市大が実証  [2012/06/22]
横浜市立大学は、「養育放棄(ネグレクト)」においてしばしば見られる社会的に隔離された養育環境(母親やほかの子どもから引き離されて1人になってしまっている養育環境)が、脳回路形成に及ぼす分子細胞メカニズムをげっ歯類を用いた実験で解明したと発表した。

成果は、横浜市立大 学術院医学群生理学の高橋琢哉教授らの研究グループによるもの。研究の詳細な内容は、2012年7月に発刊予定の米科学雑誌「The Journal of Clinical Investigation」に掲載されるに先立ち、同誌オンライン版に日本時間6月19日に掲載された。

ヒトの脳は外界からの刺激に応答して変化していく。特に発育期のさまざまな社会的な刺激(母子関係など)とそれに対する応答はその後の精神形成に非常に重要な役割を果たしている。こうした脳の機能を可塑性と呼ぶ。

神経細胞と神経細胞をつなぎ、神経細胞間の情報伝達の中心を担っている構造体をシナプスと呼ぶが、ある神経細胞が活性化するとその神経細胞のシナプス前末端より神経伝達物質が放出され、別の神経細胞にあるシナプス後末端にある受容体に結合することにより情報が伝わる(画像)。


発育期の社会的隔離によりAMPA受容体シナプス移行阻害が起きる

脳に可塑的変化が起こる時、このシナプスにも応答が強められたり弱められたりするといった変化が見られる。脳内シナプス伝達において中心的な役割を担っている神経伝達物質の1つがグルタミン酸であり、AMPA受容体はその受容体だ。

動物が新しいことを経験してシナプスに可塑的な増強が起こる時、このAMPA受容体がシナプス後膜に移動し、シナプスにおけるその数を増やすことによりシナプス応答が増強することはすでに明らかになっている。AMPA受容体のシナプス移行が脳可塑性の分子基盤の1つであるというコンセプトが世界的に認められてきた。

社会性が構築されていく発育期の異常な養育環境はその後の精神形成に大きな影響を及ぼし、しばしば難治性の精神疾患を引き起こすと考えられている。しかしながら、その分子神経基盤は不明だった。

研究グループは、ネグレクトにおいてしばしば見られる社会的に隔離された環境を発育期に経験した動物の「体性感覚野」において、(1)AMPA受容体のシナプス移行が阻害されていること、(2)この現象がストレスホルモンの増加を介しているということ、(3)その細胞内シグナルメカニズム、(4)体性感覚機能が低下していることを世界に先駆けて明らかにした(画像)。

今回の研究では、ウイルスを用いた「生体内遺伝子導入法」、「電気生理学的手法」を駆使し、社会的隔離ラットの大脳皮質体性感覚野(ひげからの入力を受け取る「バレル皮質」という大脳皮質領域)において、(1)AMPA受容体シナプス移行が阻害されていること、(2)ストレスホルモンである「グルココルチコイド」によりこれが仲介されていること、(3)カルシウムが結合すると活性化するタンパク質リン酸化酵素の「CaMKII」の機能低下によりこれが仲介されていること、(4)ひげの機能(体性感覚機能)が低下していることが明らかとなった。

げっ歯類におけるひげは、社会的行動において重要な役割を果たしているが、幼若期の社会的隔離によるストレスが脳の可塑性を低下させることにより、その機能低下を引き起こすこと、及びその分子細胞メカニズムが今回の研究によって明らかになった形だ。劣悪な養育環境に起因した重篤な社会性障害のメカニズムの解明につながる研究であると期待されるという。

今回の研究で解析が進んだ「社会的隔離動物」を用いて、その表現型を戻す化合物の探索が可能になり、養育環境に起因した精神疾患の新規治療薬開発の糸口になると期待されるとも、研究グループはコメントしている。