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その他の情報 Ⅰ、

インタビュー医療維新
米国女優の遺伝性乳癌、「一つの成功例」 - 久保充明・オーダーメイド医療実現化プロジェクトプロジェクトリーダーに聞く◆Vol.3
医師の理解と協力、個別化医療のカギ
2014年1月22日(水) 聞き手・まとめ:橋本佳子(m3.com編集長)

――そのほか、先生方のプロジェクトの第3期では、全ゲノムのシークエンスも実施されるとのことです。

 今のGWASは、SNPチップを用いるのですが、これにより分かるのは頻度が高いSNP。またSNPチップは、白人ベースで作っていることもあり、残念ながら日本人の全てのSNPが見えるわけではないのです。GWASで解析できるSNPは、全体の約6、7割とされています。まだ解析されていないSNPを探すために、1000人分の全ゲノムシークエンスに取り組んでいます。そこまで進めると、日本人で1%以上、あるいは0.5%以上の頻度で見られるような病気に関係するSNPは何なのかが分かることになります。

「米国の女優、アンジェリーナ・ジョリー氏の予防的乳房切除術は 動機、遺伝要因、リスク予測、リスクに応じた予防・介入の4つが揃った点で、一つの成功例と言える」(久保充明氏)。


――今のGWASでは、どれくらいの頻度で発生する疾患を見ているのでしょうか。

 5%以上の頻度のSNPです。第1期で集めた20万人分のSNP解析は、2014年春には終える予定です。患者一人当たり、少ない人で60万カ所、多い人で100万カ所のSNP解析のデータです。その分析を進めれば、SNPと病気との関係、血液データとの関係、薬の副作用や効果との関係などが分かってきます。

 ただ、今お話した通り、今のGWASでは見えていない部分があるので、全ゲノムシークエンスをベースにして、穴埋めをしていくと、恐らく第3期が終わる頃には、日本人の疾患のSNPのマップが完成するでしょう。我々の役割は、ゲノム医療を進めるためのインフラ作りなのです。

――この10年間で、その基盤作りをやってきた。

 20万人分のSNPデータが出れば、研究者にとっては、とても楽しい世界。しかし、それがどんな意味を持つか、SNPデータの中から医療に役立つ情報を導き出し、医療の現場に持っていくことが重要で、その段階にならないと皆さんに関心を持ってもらうことは難しいでしょう。

 「オーダーメイド医療実現化プロジェクト」の第1期は、20万人のサンプルを集めたことが、最大の評価。でもその時点では論文がなく、疾患関連遺伝子などもほとんど見つかっていなかった。それが5年後には、多数の論文を出し、関連遺伝子も見つかり、評価を受けてきた。それと同じことで、SNP解析を終えただけでは、なかなか評価されない。そこから意味のある情報を見つけ出すことが必要なのです。

――SNPの解析が進み、新たなバイオマーカーが見つかれば、臨床研究で検証する。

 はい、その繰り返しです。

――今後、「オーダーメイド医療実現化プロジェクト」や各種の臨床研究を進める上で、課題は何でしょうか。

 一つに、臨床現場が忙しすぎることがあるでしょう。病医院の先生方が、多数の患者を診ている中で、ゲノムの臨床研究の目的を説明して、患者さんの同意を取るのは、容易ではありません。また、臨床研究に必要な情報はカルテなどに書いてありますが、研究に必要な情報をピックアップして入力する時間もない。こうした作業をサポートするために、我々はメディカルコーディネーターを養成しています。

 また今、進めている臨床研究では、「この遺伝子型だったら、このような治療法を選択する」などと決めて取り組んでいますが、今後、ゲノム研究の成果を医療に応用していくためには、現場の医師のトレーニングがやはり必要。米国では、この辺りを理解していて、NIHのNational Human Genome Research Institute(NHGRI)は、既に一般の医師に対するゲノムの教育プログラムを初めています。特に、2013年は「ヒトゲノムプロジェクト」が完了して10年というアニバーサリーなので、米国全土で実施していました。

――2003年からの10年は、技術面では非常に進歩したものの、医師の理解や臨床研究、臨床応用も含め、その技術を受け入れる体制整備が追いていない。遺伝子医療に対する、ベースラインを上げなければいけない状況でしょうか。

 はい、そうだと思います。GWASを用いた論文が出始めたのは2007年頃。またそれ以降でも、医学教育で教えるまでには至っていない。現場の医師たちにとっては最新の技術ではあるけれども、医学部時代には習わなかった。学会でも、発表の一部には出てきますが、そう多くはないでしょう。

 国際的に見ても、国家プロジェクトで大規模のバイオバンクが動いているのは、我々のほか、イギリスのUKバイオバンクくらいで、こんなに長期かつ大規模で続いているプロジェクトは珍しい。その成果を医療に還元していけるようになれば、臨床現場の理解も進むようになると考えています。

――最後に2013年に一番に話題になった、米国の女優、アンジェリーナ・ジョリー氏の遺伝性乳癌についてお聞きしたいのですが。

 ものすごくセンセーショナルでしたが、動機、遺伝要因、リスク予測、リスクに応じた予防・介入、これら4つが揃った点で、一つの成功例と言えるでしょう。動機とは、彼女の母親が2007年に56歳に乳癌で死亡したこと。次に遺伝要因ですが、BRCA1という、遺伝性乳癌に関係する遺伝子が同定されており、その検査が可能だったこと。さらに、遺伝要因を持っていたら、何%の確率で乳癌になるかという、リスク予測のデータがあった。担当医により、彼女の発症リスクは、乳癌87%、卵巣癌50%と説明されています。しかも、遺伝子変異を持っていたら何をすればいいのか、リスクに応じた予防・介入法が分かっていた。これらが全て揃っていたから、予防的な両側乳房切除術を行うことが可能だったのです。彼女の乳癌発症リスクは87%から5%以下に低減されています。

 仮に遺伝要因が分かっていても、将来、何割の確率でその病気になるか、またどんな予防・介入法をすればいいかが分からなければ、意味がありません。

 遺伝病をやっている先生方にお聞きすると、治療法などがなくても、原因も分からずに苦しむよりは、原因が分かった方がまだいいと受け止められています。遺伝病の場合は、小さい時からいろいろな症状で苦しんでいるという、バックグラウンドがあるからでしょう。

 しかし、遺伝性の癌の場合は、異なります。遺伝子の異常が先に見つかる。しかし、その時はまだ健康であり、状況が全く違うのです。しかも、ゲノムの異常があっても癌になる確率は100%ではないので、「あなたは将来、癌になります」と言われても戸惑うでしょう。

 今、一般向けの遺伝子検査が実施しているのは、「糖尿病の平均的なリスクが20数%で、あなたの場合は30数%です。ちょっと高いですね」といった話です。本当に自分がどのくらいの確率で糖尿病になるのか、平均的なリスクまで下げるのに、何をすればいいのかなどは分からないわけです。

 その典型例がApoE遺伝子です。ApoE-ε4遺伝子を 1つ持っているとアルツハイマー病のリスクは2.5倍、ApoE-ε4遺伝子をホモで持っていると、リスクは5倍から6倍上がるとされる。でもリスクが分かったからと言って何ができるのでしょうか。

――仮に、今後、疾患関連遺伝子が分かっても、予防・介入法がなければ、医療ベースに載せるべきではない。

 医療ベースに載せることはなかなか難しいと思います。今は遺伝子検査が、医療機関で実施されて治療に使用されるという前提でお話していますので、そのレベルで言うと、薬と同じです。しかし、遺伝子検査の結果が出ても、そのデータを基に、医師は何をすればいいのかが分かっていないと、遺伝子検査をやる意味はありません。

――しかし、商業ベースで、遺伝子検査サービスが進むと、医療の現場が混乱する恐れもある。

 その点が、米国でも困っているところだと思います。「23 and Me」などが遺伝子検査サービスを始めました。それは医療ではないものの、医療に対する影響が大きいので、FDA(米医薬食品局)が警告を出したのだと思います(編集部注:23 and Meは、FDAの販売許可・承認を得ておらず、2013年11月22日に、FDAが販売停止命令を出している。『米警告「遺伝子検査やめろ」の教訓』を参照)。

――それでも、商業ベースの遺伝子検査サービスが普及していく動きは止められない。

 これだけ身近なものになってくると、無視はできなくなる。だからこそ、健全に進める必要があります。

 今までのゲノム解析については、「遺伝病」という概念が非常に強いので、一部の人にだけ関係するものと捉えがちです。だから私は「遺伝」ではなく、「体質」という言葉を使っています。似たような体質もあれば、違う体質もある。「体質」は誰にでも関係するものであり、医療においても、商業ベースの遺伝子検査にしても、ゲノム解析は身近なもの、という認識に変えていかなければいけないと思うのです。医師よりも、一般の人の方がかえって詳しい場合もあるでしょう。そうした方たちが相談に行くのは現場の医師。先ほど、NIHが医師の教育に取り組んでいますが、日本でもこうした取り組みが必要だと考えています。