関東地区からの相談者の女性です。
10年以上もの間パニック障害を患い、病院での治療を受けてはいたのですが、
治らないまま諦めかけておられたようです。
偶然にも彼女の母親がテレビに出ている私の姿を見て、
直感的に「この人なら娘を治せる!と思った」と、
初回一緒においでの時に話されていました。
症状は一般的なパニック障害の症状と本質的に同じですが、
すっごく思い込みが強い性格の人で、
トラウマとしての原因を理解し納得してもらうのに苦戦しました。
彼女は母親とか一部の親しい友人と一緒なら、どうにか行動ができるのですが、
それも一生懸命に苦痛を我慢し耐えてのことでした。
普段は歩いて行ける近くの場所だけが彼女の行動半径でした。
体調も悪く、ほとんど家に籠っているという状態だったようです。
彼女の症状の原因となっているものは、
彼女が幼少時から両親にほとんどかまってもらえていなかった淋しさがつくりだしていたのですが、彼女は頑として認めませんでした。
「私は淋しいと思ったことはない。両親が仕事で家にいなくても仕方ないと思っていたので、いつも外で暗くなるまで遊んでいたし、動物が好きだったから近所のペットショップに行ってペットの世話の手伝いをしていた・・・」とのことでした。
退行催眠で、ペットショップから家に帰る時の、周りの家の団欒を塀越しに見て,すごくもの淋しくなっていた当時の心情が蘇った時に、子ども時代の無意識に抑圧されていた本当の自分の気持ちに気付き、当時の感情と素直に向き合えるようになってもらえました。
北海道からのこの男性は、当時(平成15年)54歳で、極度の不安神経症に苦しんでおられました。
平成元年、釧路支店の勤務地で働いている時、昼休みに突然暗闇に入っていくような自分が分からなくなる感覚に襲われ、死ぬんじゃないかと思ったとのことでした。
その後病院で3日間寝たっきりだったようです。
この症状が起きる1年ほど前に、札幌から転勤して、自分の将来と立場を気にしていたのと、上司とうまが合わずに尊敬もできずにストレスを受けている時期でもあったようです。
約2年後札幌に戻ったものの、病院を変わっても症状が良くならずに不安な毎日を過ごされていました。薬を飲まないと、目がしぼんだような感じになり、自分が何をしていいか分からなくなると訴えられていました。ひざから下が冷たくなる時があった。手先も冷たくなっていた。不安におちいりそうになるときは、寒い時で手先が冷たくなる時が多いとのことでした。
人は自分がいまどのようなストレスの中で、どんな危険な状況に追い込まれているのかを客観的に捉えることができにくいものです。このくらいは大丈夫と高をくくっていることが多いのです。
彼の場合、ストレスの中で、毎晩酒を飲み寝不足の状態が続いていたのでした。この極度のストレスと寝不足が脳の誤作動を引き起こすのです。
以下に、当時の彼がさらされていた精神的ストレスの一部を参考に列挙して置きます。
*発作当時、上司が自分を相手にしていない、無視されているように思えていた。
*自分も上司を人間的にたいしたことがないと思っていた。上司は部下に対する適切な指導にかけていると心の中で批判していた。
*下にきつく当たり、上ばかりを向いている人。出世する可能性がある人だけかわいがっていた。人間性が悪いと内心批判していた。
*自分が出来ることを作り上げて評価を受けたいと焦っていたが、現在、自分の責務を果たしているのだろうかとか、果たしていけるのだろうかという不安があった。
*早く評価されたいという気持は大きかった。体力的に無理をしていた(毎晩朝方まで酒を飲み寝不足になっていた)
*地方に出されたということは、その場所で仕事を全うしなければいけないのは当然だったが、現実には評価対象になる仕事がなかった。肩透かしを受けて焦った。メインの業務がない支社だった。
*それで自分で何かを作らなければとか全体をまとめなければと悩んでいた。
*状況が分からず自分を出世させるために支社に送ってくれた人への期待に応えなければいけないという気持が強くあった。
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2008年11月3日付のお手紙が届きましたので、追加ご紹介しておきます。
経過報告です。
不安症を治したくて、先生を訪問してから5年がたちました。
お陰様で、現在は以前の希望であった薬の服用がなくなりました。
定期的に献血に行くことができるようになりました。
本当に先生には感謝しております。
例年のMRA脳血管状態診断はありがたく状況変わらずでした。
大丈夫だけど来年ねと院長先生と握手して帰りました。
今日の経過報告は以上です。
「自分の今を受け入れ、自分の人生を大切にするための諦めない努力」
を無意識に生活している、無意識になるように努力したいと思っております。
井手先生のご健闘と更なるご活躍をお祈りいたします。ありがとうございました。