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感謝のお便り 全22ページ




※効果には個人差があります。同じ効果をお約束するものではありません。

 秋田県から相談にみえられた61歳の女性です。
 17歳の頃から、対人恐怖に苦しむようになり、現在まで近県や東京で様々な治療を試したが治ることなく苦しんでこられていたようです。
 自分のことを人からさげすまれているように感じて、いつもおどおどして生きてこられたようです。自分は人とは違っていると感じ、それを見抜かれることを恐れていたとのことでした。
 中学2年の春に父親を亡くし、それから祖母に育てられながら、家を継ぐためだけの存在として要求されて、自由意思を奪われて育てられていきます。
 農家である家を継ぐために、高校にも行かせてもらえずただ働かされて、19歳の時、養子を迎えることになり嫌だったが強引に結婚させられています。しかし、その養子が十分に仕事ができないとの理由ですぐに離婚させられ、翌年に再婚させられて、その後子供を3人授かっています。 
 彼女は当時のことを「全てが周りから決められて、自分が人間であることを無視された。周りの道具でしかなかった。単なる家を継ぎ墓を守るための労働力としか見なされていなかった」と述懐されていました。労働力であるが故に病気をすることが許されずに、病気をすると罪人のような扱いをされ肩身が狭かったとのことです。高校に行っていないという劣等感と、生まれつき身体が弱かったので、自分を責めみじめな毎日を送っている中で、段々と人の目に苦しむようになっていかれています。 
 こうした独特な風習や価値観による心身共に束縛された生活の中で、そのストレスが彼女の精神状態を狂わせていったのです。
 祖母が亡くなってからは、ご主人とかなり自由に生きることができるようになられたのですが、いったん発病した心の病はそのまま軽減することなく苦しみ続けたとのことでした。
 彼女は言います「大変だったねって人から言われると少しは楽になるけど、『仕方なかったんじゃない』と言われると今でも心が締め付けられ苦しくなる・・・・」と。

 私の所には4回に分けて連泊でおいでになられましたが、3回目が終わった後は、すっかり自分を取り戻されて、割り切るべきところは割り切れるようになり、人のと交流が自然にできるようになられています。
「これから少しずつ友達を作り、余生を生きて行けることが楽しみです」と喜ばれていました。

 前世療法を紹介します。
 彼女がパニックの症状に苦しみ、一人で乗り物に乗れなくなって以来、母親に強く依存するようになっていかれました。
 彼女は自分でもなぜこんなにまで母親を精神的に必要とするのか、母親が傍にいないとなぜこんなにまで不安で苦しい感情に襲われるのかが分からないと訴えられていました。
 パニック障害の一般的傾向として、気分が悪くなったらすぐに降りることができる乗り物以外は不安で乗れないのです。彼女も車(タクシー)には乗れても、その他の交通機関には母親が一緒でなければ乗れないのです。

 そこで前世との絡みがないかを探ってみることにしました。

 彼女がある時代に、男性として生きていたとき、彼(現在の彼女)は芸術家で、絵を描いて過ごしていました。ある時、人の勧めもあって郷里を捨てて都会に出て行くのですが、そこで名声を上げて故郷に錦を飾るつもりでいたのが、意に反して失意の人生を送るはめになったのです。家族の反対を押し切って家を離れた事情もあり、素直に家に帰ることができませんでした。そうして、自分を愛して育ててくれた母親とも連絡を絶ったまま、彼は若くして最期を迎えます。母親に親孝行できなかったことや消息を伝えることもできない自分の境遇を恨みながら後悔して死んでいきました。
 その時代の母親が、現在の母親として再会していたのです。彼女は幼い頃から母親に対して異常に愛着や執着心を持ってはいたものの、母親が、要領がいい妹に取られてしまっていることと、家の仕事(事業)で忙しく相手してもらえないことが理解できるだけに、我慢して育っていました。家に独りぼっちだと淋しいので、学校から帰ると一人外で遊んでいたのでした。